2011年 9月 26日 - 6:12pm

“生きる”博覧会2011 南三陸町

生きる博覧会2011宮城県南三陸町


公益財団法人 文化・芸術による福武地域振興財団様はじめ全国各地のアート関係各位から、さまざまな形で多くのご支援をいただきました。心から御礼を申し上げます。2011.3.22から始まった南三陸での私たちの活動は現地活動だけで約100日以上。そのすべては、皆様方のご支援の賜です。まだ何も始まっていないに等しい被災地。復興に向けて歩み続けていく姿を、これからも末永くお見守りくださいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

南三陸の海に思いを届けよう
6月11日から9月11日の写真
町が丸ごと流失した南三陸町。建物の70%が消え、800人以上の人々がなくなった町では、悲しみを共有する場さえなかった。毎月11日に、音楽家、文学者、朗読家を招き、いまだ海にいる人々、亡くなられた人々に思いを届ける集会を開いた。海に向かってたたずむ人々を、音楽が支えた。

全国の人々とともに“きりこ”で南三陸の記憶をたどる
2010年、町の人々のもとを訪れ、お聞きしたエピソードをもとに「きりこ」の様式を真似た白い切り紙を作り、町に飾るプロジェクトを行った。
震災後、それを知る全国のアートNPOやアート関係者から多くの「きりこ」を送っていただき、災害対策本部のあった体育館とその外周に飾った。
また、地元の女性たちのグループ 彩プロジェクトのメンバーは、「きりこ」を作るワークショップなどで、仲間とふれあう貴重な時間を過ごし、少しずつ平常な心を取り戻していった。

「きりこ」とは

宮城県塩竈市以北から三陸地方南部では、神社の神職が正月の神棚飾りのために縁起物を切り抜いた半紙「きりこ」や飾り幣束などを、暮れに氏子に配布する風習がある。
神社ごとに伝わる「きりこ」のデザインはそれぞれ異なり、いずれも美しい。漁業がさかんな南三陸町では、「きりこ」を神棚に一年を通して飾る家も多い。

ニーズが変わる被災地で

生活支援

当初は食料・物資支援から始まり、医師やソーシャルワーカーとチームを組んで茶話会を開きながら、心身の健康相談を行った。炊きだし、ミシンの配布などをしながら、ニーズを探り、活動方針を決めていった。下の写真の女性は、旅館の女将だったが震災で廃業。心臓病で一時入院したが、このミシンを使い、瓦礫の中から拾い集めた着物の生地で吊るし雛を作り始めた。現在はそれが生きがいになっている。

彩プロジェクトとの協働
2010年のきりこをモチーフにしたTシャツを制作。4月末からいち早く始められた福興市で、彩プロジェクトの女性たちが、販売やきりこワークショップなどの活動を始めた。お互いに消息がわからなかった彼女たちは、この活動で再会し、次の生活への力となる仲間の絆を確かめ合った。

子どもたちへの支援
アートNPOリズム・リリーフを小学校につなぎ、ボディ・パーカッションのワークショップを実施していただいた。入谷小、志津川小で開催。震災後、自分自身に集中する、あるいは親と向き合って楽しむ初の機会となった。

鳴子地域との協働
集団避難者が長期滞在した鳴子温泉郷のみなさんと協働して、それぞれの場所で被災者をケアするためのイベントや支援活動を行った。



未来を歌に

1周年の追悼式のために、南三陸町の5つの小学校の子どもたち135名が、それぞれの学校で5つの曲を創作した。子どもたち自身の目で見てきたこの一年を、子どもたち自身の言葉・旋律にした。1月に各校2時間ずつのワークショップで曲を作り、1人でも多くの方に、未来につながる気持ちで献花していただけるよう、また、町のみなさんの悲しみや苦しみを少しでも癒すことになればと願いつつ、先生方が練習を重ねてくださった。
仙台市民交響楽団のご協力によりオーケストラの伴奏で、2011.3.11、約3000人の町民の前で堂々と歌い上げた。
会場のだれもが涙していた。そして、「いつまでも下向いていられないねえ、子どもたちもがんばってるんだからねえ」などという感想が聞かれた。この演奏を境に、町民の心のベクトルが少なからず前向きになったと感じている。
子どもたち自身の言葉と旋律で伝えること。これは子どもたち自身の震災を乗り越える大きな力になった。

「ファイト!南三陸」

作詞作曲 伊里前小学校4年1組 21名

水くみ 手伝った
支援物資 運んだ
みんなのごはん 作った
みんなでがれき かたづけ
少ない食料 やりくり
がれきは重い
水も重い
みんなで力合わせた

仕事場なくなった
負けずにお店つくった
がんばり働きだした
流れた船 ひっぱった
シロウオ サケ とった
ホヤ カキ ワカメ
種を入れた
みんなで力合わせた

「小さいけれど大きなしあわせ」

作詞作曲 戸倉小学校4年1組 14名

家族に会えたとき しあわせ
電気がついたとき しあわせ
水道が出たとき しあわせ
友だちとひなんして
ごはんを食べた
自衛隊のおふろに
のびのびはいった

学校が始まったとき しあわせ
ランドセルもらったとき しあわせ
たきだしが来たとき しあわせ

ラーメン カレー かき氷 たこやき
牛どん ソフトクリーム 
フライドチキン やきいも

エグザイル エーケービー
清原 ジュディ・オング
サンドイッチマン コロッケ
サンプラザ エソラビト

いろんな人に会えた しあわせ

二重とび 三重とび
渡り鳥 とんだよ
鉄棒 マット運動
季節も 回ったよ

みんなで がんばったこと しあわせ
明日を生きること しあわせ

ありがとう ありがとう 

未来を歌に

宮城県南三陸町立志津川小学校
加藤 敬一 校長先生 山内 順 教頭先生 担当教諭 三浦 洋司 先生 中井 遙 先生 佐々木 暁美 先生
宮城県南三陸町立戸倉小学校
麻生川 敦 校長先生 當麻 哲 教頭先生 河野 唯 先生 佐藤 ゆかり 先生
宮城県南三陸町立入谷小学校
丸森 一城 校長先生 工藤 吉則 教頭先生 髙橋 菜穂子 先生 阿部 美紀 先生
宮城県南三陸町立伊里前小学校
兵藤 文隆 校長先生 菅野 壽子 教頭先生 今野 幸代 先生 及川 史子 先生
宮城県南三陸町立名足小学校
柴山 洋子 校長先生 西城 長一 教頭先生 担当教諭 阿部 康 先生 榧木 千枝 先生 尾形 亜貴 先生
アーティスト
榊原光裕(音楽家) いがり大志(音楽家)
コーディネート
吉川由美

ワークショップ

2012.1.26 南三陸町立伊里前小学校ワークショップ
2012.2.28 南三陸町立名足小学校ワークショップ
2012.2.28 南三陸町立伊里前小学校ワークショップ
2012.3.11 南三陸町追悼式ダイジェスト

2011年 6月 1日 - 10:05pm

きりこブランド

29日、雨にもかかわらず、たくさんの人たちが集まった南三陸福興市に参加しました。きりこを一緒につくった女性たちが結成した彩プロジェクトと、きりこワークショップを開催しました。
その際に、きりこをデザインしたTシャツをつくり販売してみました。きりこのようなイメージでデザインした「彩」の文字をあしらった背中、フロントには宮司さんがつくる伝統のきりこ、彩プロジェクトのメンバーがつくったきりこ、中国の箭紙をデザインしました。100着準備したTシャツはあっという間に売り切れました。
さっそく200着を追加発注しました。
これをきっかけに「きりこ」をデザインしたさまざまな雑貨をみんなとプロデュースして販売したいと考えています。
たとえ避難所にいても、小さなものを縫ったり切ったり刺繍したりすることはできます。自分の作品を待っていてくれる人がいる、という思いは生きるはりにつながります。また、少しでも収入があることも大きな力です。
これまでも、とてもすてきな手芸品をつくり出してきた南三陸の女性たち。これからいろいろな「きりこブランド」グッズをつくっていきたいと思っています。
そこで足りないのがミシンです。ミシンも津波で流されてしまいました。吊るし雛を津波で流された着物を洗って作っているという阿部さんも、畳のへりで素敵なバッグをつくっていた方もミシンを失いました。
もし、ミシンを寄附していただける方があればありがたいです。
ミシンは彼女たちにとって、これからを切り拓く大切な道具です。もしお心当たりの方がいらっしゃれば、ぜひご連絡くださいませ。

きりこをあしらった大人気のTシャツです。

きりこをあしらった大人気のTシャツです。

2011年 5月 17日 - 6:38pm

5.11南三陸の海に思いを届けようレポート

震災直後の3月22日から、私たちは食糧・物資支援を中心に、避難されているみなさん、被災しながら役場で自らを省みず泥のように働いているみなさんと、ひととき会話のある安らぎの時間をつくる「南三陸ライフカフェ」を町内各所で行いました。
私たちは宮城県で、山や海、まちでのさまざまな人間の営みをアートを通して見つめ直す“生きる”博覧会というアートプロジェクトを行ってきました。その際に、末期ガンの患者さんに最期の時まで在宅で生き抜いてもらうための取り組みを行っている大崎市の穂波の郷クリニックの人たちと出会いました。彼らと行ったのが「ライフカフェ」です。クリニックでは毎週火曜日に、地域の人たちと“生きる”楽しさを共有するさまざまな試みを行う「ライフカフェ」を続けるようになりました。
今回の南三陸支援に当たっては、穂波の郷クリニックのドクター、ソーシャルワーカー、緩和ケアコーディネーターなどのスタッフと協働で、約10回のライフカフェを開催してきました。そのほか、ロバート・キャンベル氏による短いお話会も開催したり、地元の商店会が企画運営している福興市の実行委員会に参加させていただき、ロゴや宣伝ツールのデザインなどのお手伝いも行ってきました。

刻々と変わる現地の状況、町民のみなさんの心持ちを鑑みながら、私たちの活動も微妙に変化を遂げて行かなくてはなりませんでした。そして、みなさんの心にひっかかっていることをお聞きすることができました。
帰らぬご家族のご遺体を待っておられるみなさんが、なかなか心の整理をつけられずに、生活再建への意欲を持てないまま、避難所で身動き撮れなくなっているがどうしたら次のきっかけを作れるのかわからないという悩みを現場でお聞きしました。また、集団避難で町を離れたみなさんにあっては、たいへん心細く、町への心の絆をつないでいく精神的な支えが必要だとも感じました。
さらに、大型連休には、たくさんの芸能人、有名人、全国からの炊きだしボランティアなどが押し寄せ、町はロックフェスティバルのようなありさまでした。
町の人たちが悲しみに向き合い、自分自身の心を静かに見つめながら心の整理をするいとまは、まったくないようにお見受けしました。

そこで、私たちは5月11日から、公式な慰霊祭が行われるまで、毎月11日には、町の人たちが悲しみを共有し静かに自分自身に向き合える時間を作るお手伝いをしていこうと考えたのです。
これまで何度も一緒に舞台を創ってきた仲間でもある、朗読家 渡辺祥子氏、声楽家 鈴木美紀子氏、ギター奏者 佐藤正隆氏にお願いし、歌と言葉の力でひとりひとりが自分自身に向き合える時間を、創り出すことにしました。会場は志津川地区を一望できる志津川中学校です。3月11日、多くの人たちがたった5分の間に、町のすべてが津波で失われていく光景を見ていた場所でもあります。てのひらのなかに燃えるキャンドルの小さな灯火のあたたかさを感じながら、もう一度、その同じ場所に立って、すべてがなくなった街を見つめることは、現実を直視することでもあります。そのきびしい時間を、鈴木氏の卓越した技術に裏打ちされたやさしく透明感のある歌声と、渡辺氏の言霊を伝える朗読力で、前向きな時間に転化していくこと。それこそ、アートだけができることと信じて、全体の構成を考えました。海の見える場所に並んだみなさんの背後から、鈴木氏のやさしく心をいやすような歌声が海に向かって流れていくように演出しました。
また、南三陸の海を、遠く離れた町でふるさとに帰る日を心待ちにしているみなさんのために、同じ時間に共有する場を創り出そうと、南三陸町志津川中学校で行われた集会の模様を、5市町の7箇所にUst中継しました。中継については、アサヒ・アート・フェスティバルのネットワークの、京都、船橋、別府、仙台、大崎市の仲間たちが力を貸してくださいました。ラインINの音声を中継したので、現場での立体感や臨場感までは伝わりませんでしたが、すばらしい技術者にご協力していただき、たくさんの方々にご覧いただくことができました。
中継に関するコーディネートやスタッフアレンジは、門脇篤まちとアート研究所  門脇篤氏が行ってくださり、仙台、大崎、鳴子、船橋、京都から駆けつけたみなさんがお手伝いしてくださいました。中継はメディアゲート・ジャパンとUstTodayのみなさんのご協力で、iPhoneでの視聴もできるようにしていただきました。当日はUstreamのトップ画面にバナーを貼るご協賛もいただき、リアルタイムで600台の視聴をキープできました。
運営に当たっては、産業復興支援で現地入りしているユナイテッド・アースのみなさんにも協働していただきました。大きく広がった人々の輪が、この集会を支えることになったのです。
大切な方を亡くされた方々、すべてを失ったみなさんおひとりおひとりが、自分自身の心に向き合う時間をつくるということ、集団避難されたみなさん方の心をつなぐということを、私たちのミッションとして、行ったこの企画。その両方を実現することができたと自負しています。

志津川中会場の人たちは海を見ながら、キャンドルを持って立ち尽くしていらっしゃいました。キャンドルは亡くなった方の魂と感じた方もいらっしゃるでしょうし、ご自分の心と思った方もいらっしゃることでしょう。
志津川中学校の子どもたち、現地で活動している沖縄からの自衛隊第15旅団も全員で参加してくださいました。町の人たちはいつまでもいつまでも海をご覧になっていました。キャンドルは後者の前の堰堤に夕刻まで灯しました。

中継された7会場(登米市登米公民館 大崎市鳴子中央公民館 大崎市中山平仙庄館 加美町中新田交流センター 栗原市伊豆沼ウェットランド交流館 南三陸町ベイサイドアリーナ 同町ホテル観洋)にお集まりになったみなさんも食い入るように画面を見つめておられました。

○ 出演
朗読家    渡辺祥子
声楽家    鈴木美紀子
ギター奏者  佐藤正隆

○協力  門脇篤まちとアート研究所  門脇篤
コミュニティアートふなばし 下山浩一
東鳴子ゆめ会議       大沼伸治
太田倫子
せんだいメディアテーク   清水チナツ
穂波の郷クリニック 大石春美ほかスタッフのみなさん
宮城大学          平岡善浩
アートNPOリンク      樋口貞幸
藤井 光
アートNPOエイド       宮浦宜子
別府 ♨ レッグウォーマーず 海老由佳子
株式会社メディアゲート・ジャパン 栗原大介
株式会社東北共立
社会貢献共同体ユナイテッド・アース
○協賛 Ustream
○助成
アサヒ・アート・フェスティバル ネットワーク活動支援募金
企業メセナ協議会「芸術・文化による震災復興支援ファンド」
○主催  ENVISI
○共催  南三陸町福興市実行委員会

○ プログラム
14:45 開会
14:46 黙祷
14:47 町長挨拶
14:52 詩の朗読
14:57 海に思いを届けよう
《鈴木美紀子(声楽家) 歌 佐藤正隆(ギタリスト) 伴奏 》
東日本大震災の犠牲になったみなさまに
海に向かって私たちの思いを届けます。
15:07ころ 閉会のあいさつ
南三陸福興市実行委員会 山内正文氏
15:10 全国から南三陸町のみなさんへのメッセージ
15:15ころ 終了 《進行 渡辺祥子(朗読家) 》

○ 参加人数
志津川中学校     500人
登米市登米公民館   20人
大崎市鳴子中央公民館 170人
大崎市中山平仙庄館  50人
加美町中新田交流センター 25人
栗原市伊豆沼ウェットランド交流館 20人
南三陸町ベイサイドアリーナ 50人
同町ホテル観洋    30人

○ Ustream中継視聴数/600i人台
(http://www.ustream.tv/recorded/14623390にて視聴可
※会が始まる 10分程前から始まっていますので10分程送ってご覧ください。)

すばらしい唄声を海に届けてくれた鈴木美紀子さんとギター伴奏の佐藤正隆さん

すばらしい唄声を海に届けてくれた鈴木美紀子さんとギター伴奏の佐藤正隆さん

志津川中の生徒や沖縄から駐屯している自衛隊のみなさんも参加してくれた。

志津川中の生徒や沖縄から駐屯している自衛隊のみなさんも参加してくれた。

黙祷

黙祷

佐藤仁町長のあいさつに一同聞き入る。

佐藤仁町長のあいさつに一同聞き入る。

ひとりひとりキャンドルのぬくもりを手に感じながら海に思いを届ける。

ひとりひとりキャンドルのぬくもりを手に感じながら海に思いを届ける。

遠くに見える海と失われた町を見下ろしながら。

遠くに見える海と失われた町を見下ろしながら。

07s1

眼下の町の瓦礫もずいぶんと撤去された。

眼下の町の瓦礫もずいぶんと撤去された。

中継を見つめる集団避難中の方々。鳴子中央公民館にて。

中継を見つめる集団避難中の方々。鳴子中央公民館にて。

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中新田交流センターの夕刻

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こちらの皆さんの身動ぎもせず画面を見つめる姿の、あの故郷の今を見たいという切なる思いに圧倒されました。 音楽を通してのメッセージに聞き入る人、海に向かうカメラに、ともに歩いているかのように身をのりだす人、壁時計を振り返り、今頃(波が)来た時間と目を押さえる人・・・ それぞれに同じ時間を共有されていました。テレビ電話で笑みがやっとこぼれ、終了してもすぐに動く人もなくおもむろに部屋に戻られていました。 元気に動き回る人、じっとしている人・・姿はそれぞれでも流れる思いは繋がっている事を深く感じました。自分らしく受け止められていたように伝わりました。静かな時が流れていた気がします。 夕方6:30、工藤真弓さん(上山八幡宮の宮司さんのお嬢さん)のお話から始まりキャンドルに火を灯しました。背を丸めて灯す姿は鎮魂の姿そのものでした。 (ENVISI 早坂のレポートより)

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中新田交流センターでは夕べの集いも。

夕刻の志津川中。キャンドルの炎があかあかと燃えていた。

夕刻の志津川中。キャンドルの炎があかあかと燃えていた。

2011年 5月 10日 - 12:06am

5.11南三陸の海に思いを届けよう

3月11日、あの日から2ヵ月が経とうとしています。
無我夢中の日々でした。
3月22日に2000食のうどんを積んで町に走って以来、幾度となく現地に通いました。全国の仲間が物資を集めてくれました。下着や絵本や化粧品などを必要な方にお渡ししたり、ドクターチームと協働してお茶やお菓子を提供しながらマッサージやカウンセリングを行うカフェを開いたり、県外のみなさんに炊き出しをお願いしたりしました。
すべてを失い、きわめて困難な日々を送りながらも、南三陸町のみなさんはいつものように、私たちをあたたかく迎えてくださいました。
商店のみなさんはいち早く福興市を計画。4月10日に行われた実行委員会では、私の方がみなさんから元気をいただきました。ロゴやちらし制作などをお手伝いしています。

そんな中、ご遺体を今でも待ち続けているたくさんの方々、喪失感に打ちひしがれて次への一歩が踏み出せないでいる方々がおおぜいいらっしゃることを伺いました。
そこで、「5.11南三陸の海に思いを届けよう」という集会を企画しました。地震のあった時間から約30分、キャンドルの炎と海を見つめながら、静かに時間を過ごそうというものです。炎をいまだ帰らぬ人の魂と思う方もいらっしゃることでしょう、あるいは自分自身の心の中にある思いだという方もいらっしゃるでしょう。
しばし海に向かい、自分自身に向き合って心を整理し、次への一歩のきっかけにしていただけたら。そう考えたのです。
また、町外に避難していらっしゃるみなさんと、南三陸町との絆をつなぎ続けるお手伝いをしたいとも思いました。
そこで、全国のアートNPOの仲間たちが力を貸してくれました。仙台の門脇篤さんが中心となり、コミュニティアート船橋の下山さん、宮城大学の平岡先生や学生さんたち、東鳴子ゆめ会議の大沼さん、プロジェクトでお世話になった穂波の郷クリニックの大石さん、武田さんはじめスタッフのみなさんなどがustream 中継をしてくださることになりました。
登米市登米公民館、加美町中新田交流センター、大崎市鳴子中央公民館、大崎市中山平温泉仙庄館、栗原市伊豆沼ウェットランド、南三陸町ホテル観洋、同町ベイサイドアリーナのみなさんに中継映像をご覧いただく準備をしています。
別府や東京からも当日はお手伝いに来てくださる方々もいます。
現地に早くから入って活動しているユナイテッドアースやメディアゲートジャパンのみなさんも、運営に力を貸してくださいました。
11日14:45から

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で、志津川中学校で行われる集会の模様を中継します。
インターネット環境のある方はこちらでご覧になれます。

いい時間をみんなで共有したいと思っています。
ぜひご覧になってください。

5月5日、志津川中学校から町の中心部を望む。

5月5日、志津川中学校から町の中心部を望む。

2011年 4月 7日 - 12:12am

美しき南三陸

3月11日の東日本大震災による大津波で、私たちの心に焼き付いている美しい町のたたずまい、人々が営み懸命に生きて来た場所は、一瞬のうちに流失しました。
なにもかもが消えたのです。
数え切れないほどたくさんの人たちが行方知れずになりました。
人々が長い時の流れの中で、作り出し蓄積し育て愛でて来たものは、津波によって粉々に打ち砕かれ、瓦礫となりました。
何度見ても、現実のものとは思えない南三陸の姿。ひとつひとつのかけがえのない人生が消えてしまったこの町。
帰らぬ人となってしまった友、帰らぬ風景、そして生業。
口惜しいです。

美しかったこの町には、たくさんの笑顔があふれていました。人々は会う度に、いつも私たちに、勇気と希望を与えてくださいました。この町を訪れると、だれもが元気になりました。

美しき南三陸をみんなで取り戻そう。もう一度町を創ろう。
そんな気持ちを町のみなさんに絶やさないでほしいと思います。いったん町を離れても、心はこの町につなげていてほしいと思います。

私たちは南三陸町の方たちに、今、さまざまな側面からささやかながら支援活動を行っています。物資集めとその供給、避難なさっているみなさんの心身のケアなどです。
すでに多くの方から心のこもったご支援を有形無形でいただいています。

活動支援金の振込先に関してのお問い合わせが多くなりましたので下記のとおりご案内させていただきます。

活動支援金振込先
仙台銀行 本店(201) 普通口座 6686491
口座名義 ENVISI 代表 吉川 由美

八幡橋から五日町方向を眺める

八幡橋から五日町方向を眺める